「人間失格」太宰治

「人間失格」太宰治著

著書においては厳密にいうとそうではありませんが、小説において書き出しの文章は掴みという意義で作家にとって最大の見せ場であるということができるでしょう。
と申し上げますのも「恥の多い生涯を送ってきました。」との書き出しは、私がかつて拝読させて頂きましたどの文豪のそれより秀逸でありまして、「『私はもっと有意義な人生を送りたい』という捨て台詞を残して妻が英国に留学してからこっちおかしなことばかりおこりやがるのであって、まず第一に仕事が完全に途切れてしまった。」(「けものがれ、俺らの猿と Getting wild with our monkey」町田康著、文學界、平成10年4月号)との書き出しと甲乙つけ難いそれであります。

 

その書き出しの仕方を鑑みるに、後者の書き出し以降のテイストがポップかつロックであろうことは想像に容易いものであるのに対し、前者が「恥の多い生涯を送ってきました。」との自己否定のベクトルが最凶のセンテンス用いているということは、著書の全体においての印象をある種そういったほうに方向付けをすることにおいて強烈なエネルギーを放っています。

 

著者の投影と考えられている主人公の大庭葉蔵への著者からの評価が著しく不当に低調であることは、作中の随所で、思うに、意識的に表現されていますが、その文章表現の美しさは筆舌に尽くし難く、表現の辛辣さとのコントラストは、現代において、著書が悲哀と芸術の極致との評価を得ていることにつき至極自然であるといえます。

 

大庭葉蔵の幼少期の写真を観て「首を30度ほど左に傾け、醜く笑っている」
 「いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
 『なんて、いやな子供だ』
 と頗る不快そうに呟き、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真を放り投げるかもしれない。」と書し、さらに、晩年記の写真を評しては、「ただもう不愉快、イライラして、つい眼をそむけたくなる。」「所謂、『死相』というものにだって、もっと何か印象なりがあるものだろうに、人間のからだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持ちにさせるのだ。」とのことです。

 

大庭葉蔵は幼少期「人間の生活というものが、見当つかない」し、「隣人と、ほとんど会話ができ」ないうえ、「何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなる」性格で、「一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあった」が「学年末の試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂『できて』」おり「女中や下男から、哀しいことを教えられ、犯されて」いたが、「これでまた一つ、人間の特質を見たという気持ちさえして、そうして、力無く笑っていました。」などといった性分であったたため、「人間に対する最後の求愛」として「道化」を発明しました。

 

それは「おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィス」なるものであり、大庭葉蔵は「この道化の一線でわずかに人間につながることができた」と言っています。

 

「人間につながる」ために、本来ならば、心も体も休まるはずの生家で「道化」を演じなければならないほど繊細な子供であったが故か、その荘厳なる繊細さは本人の気持ちとは裏腹に、他人の心のひだを刺激し、同時に多数の女性からの好意も獲得して数奇な運命へと導かれることになる訳ですが、作中においては一貫して大庭葉蔵の人生に対する不遇や葛藤が描かれており、終盤まで著者の大庭葉蔵への評価は奈落の底ほどに低く、著者が著書完成後まもなく入水していることとリンクせざるを得ません。

 

しかし、よくよく精読してみるに、著書は不遇な運命を背負った者のバッドエンドに至る物語ではなく、前述の著者からの大庭葉蔵への評価は、あくまでも自分から自分への評価であって、他人からの評価ではありません。

 

なるほど、「人間失格」なだけに「人間失格」である理由を描いた書物、ひいては著者が入水に至る経緯または理由を記した遺書に代替するものであるという見解も否定はできませんが、そうであるとすると最後の一文が違和感を持ちます。その一文はもしかすると著者の最後の希望であり、心の奥底の自分への純粋な気持ちだったのかも知れません。

 

だからこそ、書き出しから頑ななまでに一貫して自己否定し続けてきた世界観であるのにも関わらず、もし、その台詞を誰かに告白されれば、最敬礼をもってその慈愛に感謝してしまうようなポジティブなものを最後の結論のような恰好で大庭葉蔵以外の登場人物に言わせたのではないでしょうか。

 

 

 司法書士・行政書士 坂ア(坂崎)徳夫 総合法務事務所(有限会社 丸江商事 併設)
 代表 坂ア(坂崎) 徳夫(さかざきのりお)
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