ブログを開設するにあたって

ブログを開設するにあたって 〜非常識のススメ〜

私が、このブログを開設した目的は、人間関係、病気、仕事などの生き方で悩んでいる方が少しでも、このブログを読んで明日への希望を持って生きて頂くためのブログです。

 

 当ブログをお読みいただいた方も含め、私と巡り合い、関わった方にはできる限り、幸せになっていただきたいと思っております。

 

 当ブログの方針である、その目的を果たすために、独特な内容、表現を用いる場合があり、時には、多少クセがある断定的な記述により、拒絶反応を起こす方がいらっしゃるかも知れませんが、あくまでも私の目的は前述のとおりでありますので、私の思想信条を誰かに強制することもありませんし、宗教的な団体とも一切関係がありませんし、いかなる政治団体等からの精神的支配を受けておりません。

 

 ですので、もし、私の考えや主張と異なる意見の方がいらっしゃっても、決して憤慨なさらず、長い目で、かつ、暖かい目でご覧くださいますようお願い申し上げます。

 

 誰一人として同じ人間はいないのですから、社会には多種多様な思想信条の方がいて、意見が食い違うのが当然なのですが、残念ながら、現在の日本では多数派の意見に少数派の意見や性格を持つ方々が虐げれているのが現状です。

 

 私は幼少の時分から常に少数派に属する性格で、他人と同じ経験、同じものを見ても共感できませんでした。自分だけ人と感じ方が違い、予測しない行動をとるので、いつも「変わってるね」と変人扱いをされしたので、周囲や親からは「変人」だとか「何を考えているかわからない」と言われ続けて参りました。
 我が国、特に地方では同調圧力が強く、周囲が「右へならえ」している中、はみ出して列を乱す者は、蔑視を伴い排除されますので、それに順応できない者は、ドロップアウトしたり不登校になったり、引き籠ったり、精神を病んだりせざるを得ません。

 

 同じ花を見て「きれいな花」と感じる人もいれば「醜い人喰い花」と見える人もいます。結婚はしたいけど子供はいらない人、子供が嫌いな人、LGBTの人、多寡にかかわらず、すべてその人の自由です。誰にも強制されることはないし、誰にも強制しないようにしています。

 

 また、単に第三者の客観的事実を話すだけならば問題ないですが、その場にいない人物のことを陰で面白おかしくネガティブに話題にする行為などは、心が貧しい人が「私は心がブスで下等です。精神レベルが甚だ低いです。」と触れ回っているようなものです。
 私は決して人の噂話はしないし、噂話をされても自分の目や耳で確認できたことしか信じません。話し手が直接に相手方からされたことを話すのは直接的な経験であり、客観的事実ですから問題ありませんが、もし、私にその場にいない第三者のことを「面白おかしく」「自分の評価を交えて」「ネガティブに」言ってきたら、私はその方に心を開くことはありません。
  「面白おかしく」「自分の評価を交えて」だけならば問題ありません。そのエネルギーがポジティブであることは聞き手に伝わりますので聞いていて気持ち良いお話ができます。

 

 ある方に私のこの考えを伝えたところ、その方は「俺は人の噂話はしない」と言っていましたが、次の日にはもうその場にいない第三者のことを憐れみや心配の体を取りつつ、話題にされていました。幼稚な言動をとっていることに自覚がないのです。
 しかし、ここでその人物を俗物であるけしからんと憎み、嘲っては私もその人物と同レベルであるとの(自分から自分への)評価を逃れ得ないので、人の振り見て我が振り直せとの格言のとおり、反面教師として、その人物に感謝しています。(積極的には接触しませんが。)
 他人は自分の写し鏡です。自分が未だその点につき課題を克服していないので、他人が自分に醜態を見せてくれているのであり、憎むべきではなく、むしろ感謝しなければいけません。

 

 また、「最低限の常識は守れ」と言う方がいます。
しかし、その「常識」とは何でしょうか? 誰がこしらえたものでしょう?
それを太宰治はその著作で、主人公が友人に『それでは世間が許さないぞ』と糾弾されたが、『世間とは誰だ?許さないのは君ではないのか』と返答したことにより表現しました。

 

 戦国時代では武将が少年を抱くことが武将の嗜みの一つとして「常識」でしたし、昭和の戦後まで洗髪は月に1回が「常識」でした。
今でもある国では一生風呂に入らず、バターを体中に塗りこむ方もいますし、動物の血液を飲む方もいます。その国ではそれが「常識」です。

 

 しかし、これらの行為を今、日本でやれば間違いなく冷たい目で見られ嘲り笑われるでしょう。
「常識」という言葉は我々が生まれた時から親や社会、マスコミによって刷り込まれた「偏見や思い込みの集合体」であって「ただの幻」に過ぎません。

 

 少しでも他人と違う行為をすれば、常識という名の偏見、思い込みによって、直ちに有形無形の圧力がかかります。しかし、何を思い、何をしようと、それは私達の自由です。

 

 映画『アナと雪の女王』やSMAP『世界で一つだけの花』では、ありのままの自分」で生きることや「ナンバーワンではなくオンリーワン」という歌詞が共感されましたが、共感しただけで実際の行動にはあまり影響がないようです。古今東西、人間が心ひかれ、感動し、涙するものは愛や自由をテーマとしたものと相場が決まっております。なのに、行動に移すことができないのには理由がありますが別論とします。

 

 これには少し注釈がつきます。自由であることに変わりはないのですが、それは「愛」に基づく思想信条、行動でなければなりません。
 それさえ守っていただければ、思うがままに生きても他人に迷惑をかけることはあり得ませんので、他人の目を気にする必要も、誰かに気を遣うことも必要ありません。
 その愛に基づく行動(他人からは変人に見えますが。)によって、仮に、親や周囲から「わがままだ」とか「非常識だ」とか非難されても、親や周囲が、まだ精神的に幼稚なだけで、「常識」に洗脳されているだけですので、何ら私達が気にする必要はありません。

 

 愛と自由はセットです。

 

 ここまでお読みになって、全く心に響かない方もいらっしゃると思います。今までの人生が順風満帆でずっと調子よくきた方は以上のようなことはお考えにならないはずです。その必要がないからです。
 しかし、私も含め、人生に絶望したり、生まれてきた意味がわからずもがいたり、挫折されてきた方は、このようなことを考えざるを得ないのです。
そして、私のメッセージはそんな方に向けて書いています。

 

そうです。いつもマイノリティで肩身の狭い思いをされてきた貴方、自分に嘘をついて無理して頑張ってきた貴方です。
もちろん、この世で成功され、何のお悩みもない方にも、私達のような種類の人間もいることを認知して頂くと私は嬉しいです。

 

 

自分に嘘をつかず、自分らしい生き方を目指しています。

 

私はそれが、幸せへの第一歩だと心から思います。

 

 

 

 

 司法書士・行政書士 坂ア(坂崎)徳夫 総合法務事務所(有限会社 丸江商事 併設)
 代表 坂ア(坂崎) 徳夫
(司法書士登録番号 第470788号/行政書士登録番号 第19430156号/宅地建物取引士登録番号 第010045号)
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