鬱(うつ)

もう無理しないで下さい。あなたは既に美しいことに気づいてください。

私たちは幸せになるために生まれてきました

 

「幸せ」とは自分が本当にやりたいことを行うことです。

 

つまり「他人にどう思われるか」ではなく「自分がやりたいこと」を行ことを幸せといいます。
それをワガママという方もいらっしゃるかもしれませんが、ワガママとは権利ばかり主張して義務を果たさないことなので自分の願望を叶えることとワガママは本質を異にし、むしろ高い親和性を有します。

 

そして、ちょうど団塊世代の方達や団塊ジュニアの方達は「自分がやりたいこと」ではなく「他人にどう思われるか」を基準として行動の判断をされています。

 

なので、「自分がやりたいこと」は捨て置いて、他人の評価の中での一位を目指し、マウントを取り合ってお互いにジャッジをしあい、他人の評価を得ることのみを重要視し、それを親は子へ、上司は部下へ、教師は生徒へ、ママ友はママ友へその判断基準を強要します。

 

いわゆる、勝ち組とか負け組などの低次元なレッテルを貼りあって、財産や権力、地位などの「もの」を奪い合っている様は、ゴリラが相手を怖がらせるために必死でマウンティング(グーで胸を叩くあれです。)をしている様子に酷似しています。

 

人生の勝ち負けを決める要素は、「自分で失敗だと思ったとき」に負るのであり、そうでなければずっと勝ち続けていますが、そもそも勝負しにこの世に生まれてきたのではありません。
私もよく周囲から、元なんとかの理事長をしたりした不動産屋の父と比較され、公務員時代は「まだ親父に負けてる」と言われ、司法書士になってからは「親父を超えたね」と言われます。
私は、誰かと比較したり競争したりするためにこの世に生まれてきたのではないし、そもそも比較しようとも父とは向いているベクトルが違うので比べようがありません。

 

誰かと何かを比較し優劣を決めたがる彼らの行動パターンはすべて、他人から切り離される恐れや不安に起因するもので、妬み嫉みやっかみ等のネガティブな心に支配されておりますからその心は貧しく、無様であり、だいたいのそういった方達は想像力が不足しています。

 

例えば、年賀状に赤ちゃんを含めた家族写真を載せて送付しておられる方は、その写真をみて相手がどう思うかはあまり想像されていないようです。
その写真をみて、つい最近、離婚された方や不妊治療をされている方、子供が嫌いな方、子供を亡くされた方、結婚制度そのものに拒絶反応がある方などは、新年早々、鬱屈とした気分になること請け合いでしょう。

 

少なくとも、私には、その年賀状は、新年の挨拶ではなく、幸せの押し売り=私は幸せなんだぞ、というゴリラのマウンティングにしかみえません。

 

そうした有形無形の同調圧力によって一面的な価値観を強要する方が周囲にいればいるほど不幸な方が増えます。

 

私達は生まれたその瞬間から最高の存在です。
生まれた瞬間から100点満点なので、あとは何も要らないし、何も頑張らなくていいのです。

 

だから他人に何かを強要することも、無理して他人に合わせる必要も皆無です。価値観は人それぞれ、千差万別だからです。

 

あとは「自分が何をしたいのか」だけを考え、実践するだけです。
あなたの心、脳みそが喜ぶことをしてほしいのです。

 

もう無理するのは止めてください。
もう頑張らなくても大丈夫です。

 

なぜなら、あなたは地球に命を持って生まれてきた時点で、それだけで価値があるからです。
あなたは既に美しいことに気づいてください。
あなたが何をしようが、何を思おうが、あなたはあなたであり、いつでも最高の存在です。

 

すべての価値は命そのものです

 

すべての価値は命そのものなので、不登校でも、引き籠りでも、病気でも、友達がいなくても、お金がなくても、他人と分かり合えなくても、勉強ができなくても、あなたは最高の存在です。

 

私の周囲には鬱や適応障害などで苦しんでいらっしゃる方がいます。
そういった方達に共通することは、

 

他人と自分を比較したうえ、劣等感を伴う羨望を抱きます。
例えば、あの人は仕事もできて美人で子供もたくさん産んで、欠点がまるでない、それに比べて私は・・・などといった前述の団塊世代にすっかり洗脳されてる方が代表例でしょう。

 

そして、自分に厳しい方は他人にも厳しいので自分の価値観を他人に押し付け、それができないとストレスを感じます。

 

他人をうらやむことほど無意味で高慢なことはありません

 

他人をうらやむということは、たまたま、みえている他人の一部分だけを切り取り、そこだけを材料にして自分と比較することです。
その人の今まで生きてきた人生には、誰かにとっては死んだほうがましだ、と思えるような地獄を経験し、しかしその結果、勝ち得た才能であるかもしれないのに、その地獄をみようとせずにその才能だけをうらやむということは相手に対して、相当な無礼であることはおわかり頂けるのではないでしょうか。

 

ですから、私は、誰かをうらやむときは、その人の人生そのものを丸ごと引き受け、同じ経験をする覚悟があるときのみ、その人をうらやむようにしています。
が、そのようなことは実際はあり得ません。

 

なぜなら人間はすべて全員がもれなく100点満点なので、だれかをうらやむということはそこに必ず自己否定の感情があります。
その自己否定の感情は幻であり、誰かによる洗脳の産物です。

 

心の病で休まれている方、引き籠りの方、体の病気で苦しまれている方、生きづらいと感じておられる方、価値観が周囲と違い孤独感を感じてらっしゃる方、不登校の方、友達がいない方、お金がない方、不幸だとお思いの方、他人とコミュニケーションが苦手な方、その他すべてのマイノリティーの方、

 

私は貴方たちのためにブログをかいています。
そしてこれだけは伝えたいのです。

 

あなたは既に美しいので、もう無理しないでください。
あなたは既に愛しいので、ご自分を愛してください。

 

あなたが少数派であることや、あなたが苦しんでいるのは、あなたがまともだからです。

 

例えば、不登校や引き籠りの方、あなたの心は純粋で真心を大事にする美しい人です。
しかし、良い人間ほどこの世は生きづらく、時に虐げられ、それを避けるために自分に嘘をつき、他人と自分を欺かなければならないことが多くなります。
心が美しい人は、その自己欺瞞に対して内心は激しく拒絶反応を覚え、自己嫌悪に陥ります。

 

その状態が長く続くと、心やからだの「病気」として症状が表れます。
病気は、「あなた自分に嘘をついていますよ、気づいてね」という自分からのメッセージです。

 

不登校の方や引き籠りの方は、他人から偽りの自分を強制されるくらいなら、ありのままの自分のまま外部と接触しないことを選択しているので、何も悪くありません。

 

統一された一面的な価値観や生き方を強要する人たちが悪いのです。
タチの悪いことに、それを強要する方達はよかれと思ってそれを押し付けてくるので、こちらからしたらかなり厄介です。
もし、周囲の人間が「ありのままの君が愛しいよ、君が生きていてくれるだけで私は幸せだよ、他は何も要らないよ。」そういってくれる人が1人でもそばにいてくれたら、その方の心は大幅に救われるでしょう。

 

そして、これほど幸せなことはありません。
いいえ、もっと幸せなことがあります。

 

それは、誰かに「ありのままの君が愛しいよ、君が生きていてくれるだけで私は幸せだよ、他は何も要らないよ。」と言ってもらうのではなく、自分で自分に「ありのままの君が愛しいよ、君が生きていてくれるだけで私は幸せだよ、他は何も要らないよ。」と許可してあげることです。

 

この世で一番、愛しく美しいもの、それはあなたの命「のみ」です。

 

命「だけ」でもう最高に美しく、愛されるべき存在なのです。

 

 

ありのままの自分を愛することを幸せというのだな、と最近、特に感じます。

 

 

 

 

 司法書士・行政書士 坂ア徳夫 総合法務事務所(有限会社 丸江商事 併設)
 代表 坂ア 徳夫
(司法書士登録番号 第470788号/行政書士登録番号 第19430156号/宅地建物取引士登録番号 第010045号)
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