人間の価値とは

人間の価値とは

人間の価値は何だと思いますか?
 この質問は生きる意味を問うことと同義であると言うことができます。

 

 すぐに思いつくのは、お金を稼いで良い暮らしをすること、異性にモテること、美味しいものを食べること、人を愛すること、くらいでしょうか。

 

 人間の価値を考えるには、まず学歴社会について触れる必要があります。
 私は学校の勉強を全くしませんでした。以下にその理由を書します。

 

 第一に、「強制」されたことです。
 私が小〜中学校の時分はまだ体罰が正当化されており、学校でも教師が怒り、家でも親が怒り、暴言や暴力による支配がなされていました。体罰は虐待と同じ犯罪です。怒らないとしつけられないではないか、と思うかも知れませんが、そもそも言うことを聞かせようとすることが高慢です。
 本当の教育とは、「人生哲学を提示」することであり、ただ選択肢を見せるだけに過ぎません。決して子供に「第一義的に勉強をすべきである。」との価値観を強制してはいけません。
 学生の本分は「勉強」ではなく、「生きる意味、生まれてきた意味を知ること」です。

 

 第二に、親や社会、マスコミは「なぜ勉強するのか」を子供に教えません
 例えば、父は私を殴りながらこう言いました。
「お前が憎くて殴ってるんじゃない。好きだからだ。シャバに出てみじめな思いをしないためには勉強していい大学に入って、いい会社に入らなければいかん。」
 一見、正論に思えますが、間違いです。

 

 人間にとって一番たいせつなことは、「金、名誉、仕事、立派な家、高級な服」ではありません。しかし、社会はそれらの「もの」が一番たいせつだと、あたかも宝のように言いふらし、その「もの」を持ってない人間を、「負け組」とバカにします。
 本当に「金、名誉、仕事、立派な家、高級な服」がない人間は価値がないのでしょうか。
 それらの「もの」が人生で一番大事な存在なのでしょうか。
 「もの」がないと幸せになれないのでしょうか。
 本当に学歴がないとシャバにでて苦労しますか。

 

 答えはすべて否です。

 

 人間にとって一番たいせつなこと、最優先しなければいけないことは「金、名誉、仕事、立派な家、高級な服」がない「自分をどれだけ愛せるか」です。
いくらこの世で「もの」を集めても、あの世に持っていけないのに、なぜ「もの」を無理に集めるのでしょう。意味がありません。
「もの」を持ってない自分への愛が、あの世に持っていける財産です。

 

 (念のため、申し上げておきますが、私は特定の宗教を信仰していませんし、政治的にも何の団体にも所属しておらず、右でも左でもありません。)

 

 お子さんが勉強したくないと言って困ってらっしゃる親御さに対してはお気持ちはよくわかります。

 

 よくわかりますが
 本人が、大人になって、本人が勉強したいと魂の底から思えた時に、自主的に動くまで待っても遅くはありません。現に私は市役所に就職してから本気で勉強を始め、司法書士になっています。同期には80歳で合格された方もいらっしゃいます。人生、旅立つその日までいつでもどの瞬間でもやり直すことができます。本人の強い意志があればの前提ですけどね。

 

 子育てとは、あれやこれやうるさく言ったり、体罰をしたりするのではなく親の「生き様」を背中でみせて子の魂に訴えて育てるものです。
 親が言ってわかることなら、そのうち自分で気づきます。親が言ってもわからないことならば、それはまだその子にわからなくて良いことなのです。
 ただ、現世的な地球のルールを一応の情報として家電の取扱説明書のような塩梅で「お知らせ」すれば良いだけです。
 勉強するしない、何を目標に生きるかなどの選択をするのはあくまでも子供本人の専売特許です。
 子供の人生に親がとやかく言う権利はありません。子は親の所有物ではなく、法的にも一人の独立した人格です。それ以上はただの「価値観の押し付け」となってしまします。
 我々は「もの」を集めるために生まれてきたのではないのです。

 

 では「自分ばっかり愛して、他人は愛さないのか、自己中心的な考えだ」と思われるかもしれません。
 違います。
 自分への愛が上手くできている人は、その愛が外面にあふれ出し、その愛は自然と他人に向けられます。
 愛は泉です。

 

 しかし、世間では、自分のことは犠牲とし、他人を優先することが美徳とされています。この考えでは自分の中から湧き出ていない愛を無理やり絞り出して他人に分けることになり、本人の心は愛が尽き、枯れてしまい、最終的には病気などによって寿命を縮めてしまいます。
 我慢や自己犠牲を美徳とする言い伝えは誤りで、自分の魂が何を一番もとめているか、それが最優先です。何かを我慢することは一切必要ありません。
 自分の脳、心が一番喜ぶことをします
 しかし、親や社会、マスコミは、物欲、金欲、性欲などの「欲ぼけ」「ものぼけ」し、物質至上主義に偏ってしまい、勉強さえできれば後の人格や思想信条はどうでもよいといった風情です。

 

 一番教えなくてはいけない、「生きてきた意味」「人生で何をすべきか」という人生哲学を全く教えません。
 物質至上主義から脱出し、愛に気付くことが生きる目的です。これに気付くためには、ただ、口で言っても理解できず「経験」して腑に落とすことが必要です。
 つまり人間があの世に持っていくことができるのは「経験」と「愛」なのです。「もの」は消えます。

 

 以上のことは、子供ながらに薄々感づいてはいましたので、絶対に学校の勉強はしないと心に決めていました。
つまり、「間違い」を「強制」されたから、私は両親に殴られても勉強しませんでした。

 

 初回のブログでも書きましたが、愛と自由はセットで、どちらかが欠けても成立しません。親が子に何かを強制した時点でそれは愛ではなく、価値観の押し付けをしているに過ぎません。

 

 人間の価値とは存在そのものです
 「金、名誉、仕事、立派な家、高級な服」がないことは人間の価値とは無関係です。
 それらの「もの」は人生で大事なことでは全くありません。
 だから、「もの」がなくても幸せになることができます。
 学歴がなくてもシャバにでて苦労しません。

 

 私達が生まれてきて存在していること、それこそが人間の価値であり、それに気づくことが生きる意味です。
仕事がない、友達いない、家族いない、お金がない、だとしてもそれは関係ありません。

 

 だから、ご自分のことは100%全肯定してほしい。
 私の最大の味方は私です。
 貴方が何を考え何をしようと貴方は貴方のガードマンです。

 

 私達はそれ以上何も頑張らず、何も無理せずとも価値があります。
 なぜなら、生きているからです。

 

 ご自分のこと、大切にしてほしいと思います。

 

 

 

 司法書士・行政書士 坂ア(坂崎)徳夫 総合法務事務所(有限会社 丸江商事 併設)
 代表 坂ア(坂崎) 徳夫(さかざきのりお)
(司法書士登録番号 第470788号/行政書士登録番号 第19430156号/宅地建物取引士登録番号 第010045号)
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