愛とは

愛とは何か

」とは何でしょう。

 

 想像してみます。
 突拍子もないことを言いますが、例え話ですのでご容赦ください。

 

 恋人などのパートナーが、もし凶悪犯罪を犯してしまって新聞にも載り、何年か実刑をくらうことになったら、変わらずその人を愛せるか?
また、その人が実は生き別れの兄弟で血縁関係があった場合はどうでしょうか。はたまた、その人が幽霊でこの世の人ではない場合は。もっと現実的なケースだと、浮気をされた場合はどうでしょう。

 

 ちなみに私はこれくらいでは何も気にしません。好きな人が、幽霊だろうと血縁だろうと一緒にいたい気持ちに変わりはありません。法的に結婚できようができまいが関係ありません。パートナーが実刑をくらうとなればどんな罪だろうと刑期を終えるまで待つだけです。浮気されたとしても、浮気相手が私より魅力的だったのですから仕方ありません。

 

 「貴方のためなら死ねる」これが愛だと私は思います。無償の愛と言い換えても差し支えないでしょう。

 

 なので、そう簡単に「愛してる」と言うことができる方には巡り合わないし、そう簡単に言われたくもないのですが、ドラマなんかでは結構、気軽に頻繁に愛してるとおっしゃているように、私からは見えて、「それ本当に愛ですか?」「どうせ、その人が不祥事とか起こして貧乏になれば捨てるんでしょ?」と疑念を感じずにはいられないのです。

 

 結局のところ、また話は戻って物質至上主義の件(くだり)になります。
 パートナーを選ぶとき、初対面は中身や精神性などはわかりませんので、その人の外見や肩書を検討するのは当然です。当然ですが、そこで検討材料を探すことを止めない方がいい。

 

 前回のブログでも書きましたが、人間の価値や魅力は、金銭や外見などの「もの」ではなく、自分を含めた人間を愛する清き「高次元の精神性」を持った「心や中身」なので、自分の精神性を高めることをなおざりにし、外面を着飾ることや体面や外聞ばかり気にしてしまうと、人間としての気品が感じられず、人に愛されることができません。自分の中身に自信がないから、外面や周囲の評判が気になってしまいます。

 

 外見を磨くことやお金を貯めることが悪いと申し上げているのではなく、中身から先に、せめて中身と外見を同時に磨いてほしいと申し上げています。
 愛のために生きることに気づき、心を豊かにし、精神性を高めることで、まず心が晴れやかになり、イライラも焦燥感もなくなり、余裕が生まれます。すると下がっていた口角が上がり、笑顔でポジティブに他人と接することができ、自然といろいろな存在に感謝できるようになります。そういう人を嫌う人はあまりいないので、自然と他人から好かれ、自分にも自信が持ててきます。この段階に至ればすでに魅力が中見から外見に溢れ出ており、ことさら注力して、出世する必要も高価な服や装飾品で着飾る必要もありません。

 

 つまり、中身を磨けば勝手に外見も磨かれるのです。中身を磨けば勝手にお金も貯まりますので、お金に支配されないようにしています。

 

 もし腑に落ちない方は、脳か心臓に向かって尋ねてみることをお勧めします。

 

 「私は出世争いのために産まれてきたの?」「私はお金を稼ぐために産まれてきたの?」「私は子育てのためだけに産まれてきたの?」

 

 そうは言っても、おとぎ話に聞こえ、抵抗があるかもしれません。
 人それぞれ学習の進度が違うように、いろんな得手不得手があるように、走る速さが違うように、この「生きる意味にどのくらい気付くのか」も人間の個性によって左右されます。
「価値観の違い」というやつです。人それぞれ個性があり、人生の背景がありますので、価値観の違いをお互い認め合うことが大切です。
 しかし、例え少数派の性格や思想でも、いじめたり、差別するのは悪いことだ、ということには異論がないかと思います。

 

 以上のことを実践することが難しいことには理由があります
 現在の日本経済を成長させてきた世代は、戦後の「もの」がない時代に育てられ、「もの」がなければ餓死してしまうような状況、世界観で成り上がって来られました。それはそれで素晴らしいことなのですが、その団塊の世代が、その物質至上主義をそのまま後の世代に、唯一の正義、真実として伝え、社会やマスコミもそれを強力にアナウンスしました。

 

 我々は、生まれながらに親や社会、マスコミから、日常的に、不安や恐れを提示され、その物質至上主義を刷り込まれ、人間の個性を無視して一律に、学歴社会や出世競争を演出させられました。しかし、勉強が嫌いな人、ゆったり過ごしたい人、誰とも争いたくない人、いろんな人がいるはずで、そういった社会に適合できない人は本当の自分を隠し「世知辛い世の中で、やりたいことだけをやって食っていけるわけがない」と思いながらストレスにまみれ暮らしているのです。

 

 「世知辛い世の中で、やりたいことだけをやって食っていけるわけがない。」これは誰が証明したのでしょう?

 

 このセリフに代表されるような不安や恐れを煽るかのような情報は、親や社会、マスコミが恒常的に主張しています。朝、登校や出勤前にニュースを見ながら食事をされるかと思います。その際に流れるニュースは、「誰誰が遺体で発見されました」「ある政治家が失言しました」「失業率が上がっています」などの、怒り、悲しみ、恐れ、不安、人のネガティブな感情を惹起させるものばかりで、気づけば我々はネガティブなことばかり口にするようになり、不安や恐れが行動の出発点になってしまいます。

 

 「いつ失業してもいいようにお金を貯めておかなければ」「将来、大人になって野垂れ死にしないように勉強しておかなければ」「ばかにされないようにちゃんとマナーを覚えなければ」といった具合にマイナス思考からの出発で行動を起こしていますので、社会がギスギス、イライラするのは当然です。

 

 だから私は、テレビのニュース番組やワイドショーは絶対に観ないし、情報番組も観ません。新聞も読みません。ネガティブな情報ばかりでポジティブな情報が少なすぎるからです。情報操作されないように、笑顔が生まれるお笑い番組や趣味の番組を狙って能動的に観るようにしています。受動的にCMも目に入らないように予約録画して絶対にオンタイムでは観ません。家に帰るなりテレビのスイッチを入れ、特に注視する訳でもなく、それを流しながら過ごしていると、すっかり受け身な姿勢、精神が形成されてしまい、「何かいいことないかなあ〜」などと口走るようになります。いいこと、幸せなことは自分の周囲にいくらでも転がっています。能動的に探すことができなくなるのです。

 

 私は何度か、「良いことないかな」と呟いている知人に、「良いことって例えば何ですか?」と尋ねたことがありますが、明確な回答は貰えませんでした。
イメージもせずに良いことは見つかりません。

 

「やりたいことだけをやって食っていけます」

 

 私は産まれてこのかた、嫌なことからはすべて逃げてきて、やりたいことだけをやって生きてきました。公務員も嫌になって、父に親子の縁を切ると脅されましたが何も迷うことなく市役所を辞めました。そうしたら、いつのまにか司法書士になって法律家になる夢が叶いました。

 

 自分に嘘をつかず、自分に正直に生きてきた結果です。

 

 〇〇しなければとんでもないことになる、とか、〇〇しなければ生きていけない、などの恐れや不安からくる行動は自分だけではなく周囲も不幸にしてしまいます。
 ご自分のため、家族のため、日本のため、地球のために、真実、心からやりたいことをして頂きたいと思います

 

 私はときおり、本当は何がやりたいのか、何のために産まれて来たのか、自分と向き合う時間を作るようにしています。

 

 

 

 

 

 司法書士・行政書士 坂ア(坂崎)徳夫 総合法務事務所(有限会社 丸江商事 併設)
 代表 坂ア(坂崎) 徳夫(さかざきのりお)
(司法書士登録番号 第470788号/行政書士登録番号 第19430156号/宅地建物取引士登録番号 第010045号)
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