「武門とは信義の番兵であり、人の生涯は心に富を蓄えるためにある。」

「武門とは信義の番兵であり、人の生涯は心に富を蓄えるためにある。」

表題の文言は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、加賀藩主・前田氏の中興の祖にして加賀百万石の祖である前田利家公の残された格言です。
信義の番兵という名詞が難解ですが、武士を生業とすることは、主君との忠義の約束を守り、それをもって人生は精神性を高めるための期間であるといった趣旨のお言葉であります。

 

「武門とは信義の番兵であると心得ます!」と、親友であり、のちの豊臣秀吉である木下藤吉郎秀吉の命乞いをするために、前田利家公が織田信長公へ、忠言とも苦言ともいえる様相で命を賭した場面が大河ドラマ「利家とまつ」で描かれていました。
まだ学生時分だった私の未成熟な観点でも涙が欠かせず、こころのヒダを良い意味で刺激されて毎週の日曜日を楽しみにVHSへ録画していたのを覚えており、今でも数年に一度は全話一気に鑑賞しています。

 

初見から20年以上を経て、恨み妬み嫉み等のストレスにより、とっくに現代人は心の富を忘れてしまっているように感じています。
そこで、改めて、心の富とはなんぞやとの問題提起をします。
確かに、現代社会の構造上においては、あらゆるステータスによって無意識化に比較の意識を刷り込まれ、生き抜くことさえ甚大な苦労を強いられることがあります。だからこそ、近年になってようやく心の健康を守ることの重要性が提唱され出したともいうことができます。
しかし、生き抜くことの困難性の観点においては、戦国時代が近現代より激しく厳しいことは間違いありませんが、物理的意味ではなくそういった精神的方面の生きづらさでは現代も中世もあまり差異はありません。
思うに、わが国では、ネガティブなニュースが少なくない一方で、災害時、暴動も略奪も起きずに皆が助け合う、との如き習性があり、世界に誇ることができる義理人情あるいは愛からくる精神性も持ち合わせています。
また、例えば自分が物理的、精神的どちらの意味においても、危機的状況
に陥ったとき初めて人の温もりや愛情が身に染みて真から感謝でき、その結果、同様の場面で苦しんでいる方に心から寄り添うことができてその後の人生が好転することがあります。
それを、ご先祖様たちは、「災い転じて福となす。」とか「雨降って地固まる。」などと規範付けられています。きっと現代人が忘れていることをすべて御存知だったのだと思われます。
そこで、心の富とは、喜怒哀楽、うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみを含めたすべての感情および幸・不幸すべての経験と解します。

 

この規範を自分の人生にあてはめると、過去に経験した、幸せだったことや酷く苦しんだことは、一見すれば容易く幸・不幸に分類できますが、それらはすべて自分の義理人情や愛を育てるための出来事であり、ひいてはそれが心の富を蓄えることになっていたことが分かります。
そうであるならば、人は常に幸も不幸なく限りなく自由であり、心の富を持ち合わせていれば、自分も含めた人を愛することで自分も他人も助けることができるでしょう。
ところが、ちょうど現在の風情のように、心の富がなければ人はただお互いに傷つけあうだけの悲しい存在でしかありません。

 

つまり、人とは義理人情に基づいた存在であり、人の生涯は愛のためにあるのです。このことに気づくことが心に富を蓄えることへの第一歩だと表題の格言を想起するたびに考えます。

 

以上のことを論証させて頂く端緒を与えて下さった前田利家公に御礼申し上げます。

 

 

 

 司法書士・行政書士 坂ア(坂崎)徳夫 総合法務事務所(有限会社 丸江商事 併設)
 代表 坂ア(坂崎) 徳夫(さかざきのりお)
(司法書士登録番号 第470788号/行政書士登録番号 第19430156号/宅地建物取引士登録番号 第010045号)
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