新型コロナウイルス感染症による肺炎で、ご逝去された志村けん様の、生前のご恩に報いるために、我々ができること。
本日、日本を代表するコメディアンの志村けんさんが新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎によってご逝去された、との知らせを聴いたとき、志村さんが入院された時から最悪のケースを心配し、数時間に一度ネットニュースを検索していた私は、幼少期に「ドリフの大爆笑」や「カトちゃんけんちゃん」、「バカ殿様」、「だいじょうぶだあ」で腹がよじれるほど笑わせてもらった名シーンの数々が脳内によみがえり、それと同時に、志村さんの綺麗な笑顔もフラッシュバックし、その甚大なる喪失感によって泣くことすら未だできておらず、正直に申し上げれば、全く心が片付けられておりません。
しかし、志村けんさんが今、どうお思いになっているか、我々にできることは何か、この悲しみの落とし前をどうつければよいかを考えるために、このブログを書きます。
メディアのMCの方達や巷の方は、「ウイルスを恨む」「自分も死ぬのが怖くなった」「必ずウイルスに打ち勝つ」「コロナに負けるな」といった声が概ね大勢を占めているのではないかと思われます。
つまり、これを言い換えれば、コロナウイルスという存在に対して、憎しみ、恨み、恐怖を抱きつつも勝負を挑む、ということですが、そのようなネガティブな感情に帰結することに関しては、人間の感情のシステムとして仕方のないことだとは思います。仕方のないことだとは思いますが、ネガティブな感情をぶつけても、換言すれば、コロナウイルスを敵視しても、コロナウイルスは絶対に消えないどころか、むしろ増殖するでしょう。
「愛・慈しみ・自由・思いやりなどのポジティブエネルギー」は「憎しみ・恐怖・心配などのネガティブエネルギー」によって簡単に支配され、塗りつぶされてしまいます。
ひとを怒らせるのは簡単ですが、ひとを笑わせることがいかに大変であるかは、特に人間関係で苦しまれている方、さらに近々の日本においての世知辛く、かつ、了見の狭いものの味方で溢れている状況では殊更に説明する必要はないでしょう。
しかし、我々は思い出すべきです。1980年代のついこないだまで、日本は明るく、楽しく、愉快な上げ潮上昇気流状態だったはずです。
それがいつの間にか、現在の、閉塞し、鬱屈し、絶望感漂う空気に満ち満ちてしまいました。
それはなぜでしょうか。
自然にそうなってしまったのでしょうか。
(注。私は特定の宗教団体に所属しておらず、一切の信仰もしていません。政治的に右でも左でもありませんし、いかなる圧力団体にも所属しておりません。)
テレビニュース(情報系バラエティー番組を含む)や新聞を観るな、とは言いませんが、少なとも、何の疑いもなく鵜呑みにすることはよくありません。
玉石混交の情報から様々な可能性や選択肢を取捨選択し、多角的な思考をすべきであり、勿論、私が述べることも鵜呑みにしてはいけません。
前のブログと重複しますが、基本的にメディアはバッドニュースやネガティブニュースを取り上げる傾向が甚だ強く、その理由は上掲のとおり、「憎しみ・恐怖・心配などのネガティブエネルギー」は人心の興味を引き付ける力が強いことにその原因があります。
何か自分に良いことがあっても、心配ごとがあるとすぐその良い知らせからくる多幸感は消えてしまうのが人間の常です。
他人様の良い知らせや、感動する話だけを週刊誌や新聞が取り上げたら、その売り上げは激減します。それがわかっているから、メディアは我々の不安をあおり、敵対構造を演出しているのです。
我が国を客観視してみるに、バブル経済の崩壊、大規模地震などの災害等、数々の深刻な経済打撃を受けましたが、世界を見渡しましても、古今東西、日本ほど優良な経済地盤を持つに至った国はありません。他国が同じ目にあっていたら、とっくにその国は破城しています。
さらに、日本人はその綿密さ、思慮深さ、愛情の大きさによって世界でも群を抜いた技術やサービス精神を備えており、特に、他人を思いやる気遣いという点においては、災害時に暴動や犯罪が増加する他国と比較して、互いに助け合う日本人は賞賛に値します。
そして、日本のお笑い芸人の方やコメディアンの方のレベルの高さも世界一です。
レベルが高すぎるので外国人の方にはそのお笑いのだいご味を味わってもらうことが難しいことは、日本のあるトップ芸人の方が、「外国人向けにするためには、日本のお笑いの5〜6割のレベルのものを本気でやらないと伝わらない」と同趣旨のことをおっしゃっていたことからも、お分かりになるのではないかと思います。
志村けんさんが、その奇跡的なお笑いのエッセンスを、長年、我々に提供してくれたことは我々にとって本当に幸せなことでした。
人間は笑うことによって生きることができます。
元気がない時も活力がでます。
試しに、今、元気がないかた、無理やり笑ってみてください。
難しいなら、口角をあげて、口の端をあげて、ニッコリしてみてください。
それを続けているうちに、脳が、「いま楽しいんだ」「いま幸せなんだ」と錯覚し、脳から「楽しい!幸せ!」という指令が発信され、しまいには本当に楽しくなってきます。
それで鬱を克服した、といった類のエピソードも、医師等の著書に散見されており、決して与太話や眉唾で済ますことができる精度の情報ではありません。鬱(うつ)
志村けんさんを始めとした、日本の芸人、コメディアンの方は、尊敬という言葉では物足りない、完全にゼロの何もないところから「笑い」という「幸せ」を創出する神々しい、慈愛に溢れた方々なのです。
よく父がお笑い番組をみて言っていました。「こいつらはただテレビでふざけて金もらってよかなあ」と。
私は子供ながらに、その視野の狭さに驚き、この屈託だらけの自分たちを笑わせてくれる=幸せにしてくれる尊い存在に気づいていない愚かさを嘆いたもので、そのときの自分の父親の了見の狭さに軽蔑し、嘲笑した気持ちを30年たった現在までしっかり覚えていることは、「お笑いリスペクト」の証左に他なりません。
そして、志村さんがコロナウイルスによって命を亡くしたからといって、そのコロナウイルスを憎み、蔑んでは、志村さんが今までなされてきた愛のある行動と真逆のことになってしまいます。
我々がそういったネガティブエネルギーを抱くことを、志村さんは悲しまれると私は思います。
「じゃあ、コロナウイルスはどうやって撲滅するんだ。自分を蝕む病気が憎いに決まってるだろ」とおっしゃるのは当然ですし、志村さんを亡くしたご家族、ご友人の方のお気持ちを想像すると身につまされる思いです。
しかし、このことを考えさせるために、コロナウイルスは出現したし、よりによって万人から愛されている志村けんさんが亡くなったのだと思います。
他のどうでもよいと言ったら礼を失しますが、嫌われ者のタレントさんが亡くなっても、我々は深く考えずにすぐに忘れますが、我々の(心底では)全員がその回復、復活を望んでいた志村けんさんが、忌まわしいコロナウイルスで亡くなってしまったのですから、否が応でも、その意味について考えざるを得ません。
コロナウイルスが生物兵器か自然由来のものかは問題ではなく、残された我々がどう学んで行動するかに、その存在意義があるのです。
いい人ほど早く逝く、とか嫌われ者世にはびこる、などといった格言は正に言い得て妙であり、それは例えるならば、優秀(=人に好かれる)であるからこそ、地球という学校から飛び級で卒業しているに過ぎません。
つまり、地球では死=悪ですが、本当は忌まわしいことでも、悲しいことでもなく、「地球からの卒業おめでとう」、なので、だからこそ、出来の悪い=嫌われ者の人はいつまでも留年=長生きしているのです。
なので、早死に=悪 長生き=善 といった風潮は全くの誤りであり、歳若くして逝ってしまわれる方は、自分の命によって残された者に「愛」を学ばせる「天使」なのであって、何の不幸もなく、尊い存在なのです。
年長者を忌むべき存在といっているのではなく、ただ漫然と長寿を祝い、夭折を忌むという従前の考え以外にも、逆の価値観があっても良いのではないかと申し上げています。
数ある選択肢の一つとして、今までと真逆の発想を持つ余地があっても取り立てて問題はないでしょう。
ではどうすればよいか。
結論から言えば、そのメッセージをくみ取り、病気さえも愛するしかありません。愛とは
(注。私は特定の宗教団体に所属しておらず、一切の信仰もしていません。政治的に右でも左でもありませんし、いかなる圧力団体にも所属しておりません。)
病気を愛すると言ってもこれは非常に難しく、お伝えしている私も人生の最後までにできれば良かろうといった塩梅ですが、まず、自分が憎んでいる存在、今回の場合コロナウイルスですね。それを敵視しては、自分はコロナウイルスと同レベル同次元の存在に成り下がってしまいます。
これは人間関係にも該当するお話であり、その相手にネガティブな感情を抱いているということは、自分の写し鏡である他人に自分の嫌なところをみて嫌っているのですから、結局、自分を愛せずに他人を嫌っている状態になっています。
地球からみればウイルスもそれを敵視している者も同じ異物であり、邪魔者と捉えられ、その浄化作用によって存在を消されても文句は言えません。
人間関係も病気も事故も厄災も、結婚も昇進も就職も出産も、ものごとには良いことと悪いことが丁度半分ずつあり、これは客観視することの練習をしないと難しいことですが、私の例で例えるならば、幼少期の時分、親に約10年間、精神的、肉体的暴力によって支配されていたお蔭で、ブレない芯(精神)を持ちました。人間の価値とは
ペットロスになったり、様々な病気に罹患したお蔭で、同じ病気にかかる方に助言することができるし、健康の有難みにも気づきました。猫の腎臓病、猫エイズ、猫白血病
前職が性分に合わず、悪評をばらまかれたり、虐められたりしたため、結局いつのまにか、難関資格と言われている司法書士になりました。公務員(市役所)時代のお話
すべては「今」のためにあるので、私を虐待した親に感謝、虐めた公務員に感謝、病気に感謝できるようになりました。
なぜなら彼らがいなければ、今の私ではないからです。
ただ、私はまだ未熟なので、彼らから彼らの犯罪を正当化されると憤死するほど憤慨してしまいますが。
ご遺族、ご友人のお気持ちを察すれば、志村さんの亡くなった原因であるコロナウイルスに感謝などと言うつもりは全くありません。
先ほど病気さえも愛する、と言いました。
病気を愛したらどうなるか、ある熊本出身の医師がその著書でお書きになっています。
理由もなくがんが消えた元末期がん患者に共通するのは、抗がん剤に感謝、太陽に感謝、がんにも感謝するような方だったとの症例が確かに存在することです。
志村けんさんが我々に残したメッセージは「みんな笑おう」ではないかと思います。
本当に本当に悲しいです。寂しいです。
志村けんさん今までありがとうございました。
たくさん幸せを、かわいらしい愛をもらいました。
貴方のおかげでポジティブになれました。
貴方の話をだれかとするだけで、少なくともその瞬間だけは明るく軽くなれました。
ご冥福をお祈りいたします。
お逢いできる時まで、自分に恥ずかしくない生き方をしていきます。
また、笑わせてください。
司法書士・行政書士 坂ア(坂崎)徳夫 総合法務事務所(有限会社 丸江商事 併設)
代表 坂ア(坂崎) 徳夫(さかざきのりお)
(司法書士登録番号 第470788号/行政書士登録番号 第19430156号/宅地建物取引士登録番号 第010045号)
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