頑張ること≠美徳

頑張らない美徳

例えば、職場で「頑張って」仕事をして、残業や人が嫌がる仕事をし、疲れていても「頑張って」周囲にも気を遣い、結果的に周囲から、優秀で人格的に優れている職員であるとの評価を得ているAさんがいると仮定します。

 

 このAさんは2パターンの可能性があります。
@その仕事が心底から好きで、ただ好きなことをやっているだけで、残業代などのことは考慮していない。
A「仕事は頑張るものだ」「自己犠牲の精神により他人のことを優先すべきである」との概念から、仕事によって余暇を削られ、精神的に摩耗することは当然だと思っている。

 

 @の方はご自分の天職に巡り合い、その信心によって就職なさったか、仕事に依存しているタイプですが、数字のうえでは圧倒的にAのパターンが多いでしょう。(あくまでも「頑張って」いるように見える人の中で、のお話です。)
 以下AさんはAの方に限定します。

 

 Aさんは、幼少期の頃から、親、学校、マスコミから我慢、犠牲、勤勉が美徳であるとの誤った価値観を刷り込まれておりますので、自分が『「仕事は頑張るものだ」との概念から、仕事によって余暇を削られ、精神的に摩耗することは当然だと思っている。』ことに気づいていません。

 

 なので、仕事をサボることは悪だと思っていますし、無能だと愛されない、頑張らないと認めてもらえない、と思っていますし、頑張って「いるように見える」人に対して、劣等感を抱き、頑張れない自分に対して否定的な感情を持っています。
 そして、そこから脱却するために、疲れていようが病んでいようが、息抜きすることなく働き続け、同時に周囲にも笑顔を絶やさず気配りも行います

 

 この行動が、本当に魂からやりたくてやっているのならば問題ありません。このブログで再三申し上げている「本当にやりたいこと」をしているだけだからです。
しかし、Aさんは、自分への強迫観念や周囲からの非難の恐れから逃げるための行動ですので「本当にやりたいこと」ではありません。

 

 Aさんは二重の嘘を付いています。

 

 一つ目の嘘は、本当は休みたい、不機嫌な顔でいたい、仕事をサボりたい、他人に気を遣いたくない、のにも関わらず、そう思っている自分の感情や思考が悪だと思い込んで、それを隠し、ありのままの自分を実践しないという自分への嘘です。

 

 二つ目のの嘘は、そうした堕落的、怠惰的な自分を周囲に隠し、賢者的、万能的、人格者的に振る舞う他人への嘘です。

 

 これらの二つの嘘を合わせたものを偽善といいます。つまりAさんは偽善者です。

 

 

 ここで、Bさんを登場させます。
 Bさんは、職場でいつも怠け、残業や人が嫌がる仕事は拒否し、疲れていたら疲れた態度をとり、周囲に全く気配りをしないので、結果的に周囲から、優秀でなく人格的に劣っている職員であるとの評価を得ています。

 

 Bさんのような方は、自己肯定感が高く、幼少期に親から誰かと比較されてないうえ、自分を誰とも比較しないので、他人の評価を気にしないで済んでいます。
 つまりBさんは正直者です。

 

 人間の本質は、怠け者で卑怯で自分勝手な生き物です。お金があれば働かないし、上司が監視していなければ仕事をサボります。自分勝手だからそういう人間が罪を犯さないように刑法などで規律してあるのです。人間の本質が、聖者であれば法律などのルールは不要です。

 

 ここで誤解して頂きたくないのは、人間は怠け者で卑怯で自分勝手だから可愛いのであって愛しいのです。
 「できない、無能、サボる、頑張らないから愛されない」のではなく、「できない、無能、サボる、頑張らないから愛される」のです。

 

 なぜなら、人間は、人間らしく生きている人を本能的に愛するからで、完全無欠の聖人君主がどこかいけ好かなかったり、可愛げがなく感じるのはそういう理由です。
 ですから、私がどういう人がタイプか、と尋ねられたらいつも、人間らしく生きている人、と答えていますし、自分に嘘を付いて、自分が偽善的な行為をしていることさえも気づいていない方は苦手です。その行為に自分への愛もなければ他人への愛もないからです。自分を愛していたら自分に嘘はつかないし、他人を愛していれば他人にも嘘はつけないはずです。

 

 偽りの自分で他人を騙すことを私はなるべくしないようにしています。
 お世辞や社交辞令は言わないし、思ってもいないことは「かわいい赤ちゃんですね」の一言でも絶対に言いません。

 

 子供や赤子が嫌いというとまるで非国民のように扱われますが、人それぞれ、趣味嗜好や価値観は違いますので、私が子供や赤子が嫌いということは、誰かが猫が嫌いと主張するのと何ら変わりません。赤子も猫も草花も同じ命であって、その命に大小、軽重の差はないからです

 

 なので、子供が欲しいけどできない夫婦も、子供が嫌いだからつくらない夫婦も、独身主義を貫く男女も、事実婚のカップルも、子だくさんの夫婦も、すべてそれぞれの価値観で生きてらっしゃいますので、親や親類などの「他人」がとやかく言うことではなく、その本人の絶対的な自由に任されております。

 

 少子化云々の問題を持ち出し、説教する方が(稀に)おられますが、もし、自分の正直な生き方をしようとしているときに、有形無形の圧力によって邪魔されようとされた場合は、その邪魔者の無知と偏見を悟り、心の中で「うるせーよ、ばーか」で処理します。

 

 その邪魔者は私たちより、だいぶん下級コースを勉強されている方なので、善意で教えようとしても、逆にこちらが変だと思われてしまいます、
例えると、大学生が習うようなことを小学生に教えても解るわけはないですよね。物事を覚え、理解するには順番があり、そして、小学生だからといって大学生は馬鹿にしたりしません。

 

 そして、その邪魔者は、私たちが粛清しなくても、どこか違う格好で、このことを学びますので、「うるせーよ、ばーか」でとりあえずほっておきます。
大体はこれでイケます。

 

 AさんとBさんのお話はまだ続きます。

 

 

 

 

 

 司法書士・行政書士 坂ア(坂崎)徳夫 総合法務事務所(有限会社 丸江商事 併設)
 代表 坂ア(坂崎) 徳夫
(司法書士登録番号 第470788号/行政書士登録番号 第19430156号/宅地建物取引士登録番号 第010045号)
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