葬式はやらない

葬式はやらない

私が死んでも、葬式は絶対にして欲しくありません

 

 なぜなら、祖父や祖母が亡くなった時に葬式に参列した方達は、本当に悲しくて、故人を、私たちを愛していらっしゃったのでしょうか?
 中には確かに、愛母を亡くして悲しいだろう、お悔やみにいって励ましたい、といった方がいらっしゃるでしょうが、大部分が、「行かないと後で何て言われるかわからん」という外聞や周囲の評価を気にしてまるで帳面消しのように義務的に参加しているのではないでしょうか。

 

 葬儀や通夜をしなくても、有難くも本当に心から、お悔やみを伝えたいとお思いになる方は遺族のもとに訪れます。私はそういった方だけに私の葬式に来てほしいのです。

 

 同様に、何回忌などの法事もする必要はないと考えます。

 

 故人にとって「思い出されないこと」が一番さびしいのです。だからこそ、法事をして故人の話をして「思い出す」ことによって故人を弔うわけです。
 しかし、実際は形式的に「何回忌だからしなくてはならない」という義務的な心でそれを行っていませんか。
 法事の主催者は「わざわざ休みの日に法事をやってるのだから罰はあたらない」という消極的思想によって行事を執り行ってはいませんか。

 

 そんな嫌々な心で故人の魂が喜ぶでしょうか

 

 わざわざ、葬式や法事などをしなくても、毎日、故人のことを想い、故人の教えや生き様を思い出し、自分の教訓にして、その存在を忘れなければ、故人は怒らないはずです。
ご自分が亡くなった時のことを想像してみてください。

 

 「形式通り葬式は行われ、何年かに一度は自分の法事が行われているものの、普段は全く自分のことを思い出してくれない。」状態と
 「葬式や法事は全く行われないが、遺族は毎日、あの世の自分に祈りを届けてくれている。」状況はどちらが嬉しいですか?

 

 もちろん「形式通り葬式は行われ、何年かに一度は自分の法事が行われ、かつ、遺族は毎日、あの世の自分に祈りを届けてくれている。」のが一番うれしいのは間違いありませんが、前述のとおり、葬式が「帳面消し」ないしは「免罪符」のようになっている状況では期待できません。

 

 つまり、私は「愛のない行動を見たくない」から自分の葬式や法事をして欲しくないのです。

 

 

 古来からの風習で、長年行われていることには必ず意味があります。しかし、意味を考えずに、それをすること自体が目的になってはいけません。

 

 街中で、葬式の案内看板を見かける度に、以上のことを思い巡らせ、前例主義や思考停止にならないように、愛のある行動を心掛けようと、私はいつも気を付けています。

 

 

 

 

 司法書士・行政書士 坂ア徳夫 総合法務事務所(有限会社 丸江商事 併設)
 代表 坂ア 徳夫
(司法書士登録番号 第470788号/行政書士登録番号 第19430156号/宅地建物取引士登録番号 第010045号)
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